ライフストーリー

私のライフストーリーをお見せします!

なんと7000字にも書き起こしてくださいました!!!

あまりにも素晴らしい内容なのですが、

私のプライベートもダダ漏れです!笑

なので、すこーしだけ編集しました!

 

⇓こちらから⇓


コーチングを共に学んだ教室で、
はるちゃんと出会ったとき、彼女のお腹の中には、
すでに赤ちゃんがいた。

 

「母」になりかけてたはるちゃんは、
なんというか、両足で立っていて、揺らがなくて、

 

「母」になると女子はこんなに安定するのか!って、
まぶしく見つめたものである。

 

そのはるちゃんの、ライフ・ストーリー。
揺らがない両足の、原点を聞こう。
(取材・文:小川志津子)

 

◆好きなことにのみ、すごく没頭。

 

小さい頃のことを尋ねると、
ちょっと間を置いて、はるちゃんは答えた。

 

「元気は、よかった気がする。
みんなの中にいるのが好きだったのね。
お人形遊びとかはちょっと苦手で、
アウトドアな遊びが好きだった」

 

小学校のクラブ活動で、
はるちゃんが入ったのは「チャレンジクラブ」。
自分で作ったおもちゃで遊んだり、
えんぴつをナイフで削ってみたり、
飯ごうでごはんを炊いてみたり。
得意科目は「図工」だったという。

 

「みんなの中にいたいとか、
みんなに囲まれたい、っていうのは、
自分の性質というより、憧れに近かったかもしれない。
世の中をうまく渡り歩く術って、
小学校の時にはわからないから、
ありのままの自分を受け入れてほしいじゃない。
そういう気持ちで、ずっといたかな。
みんな、なんでこっちを見てくれないんだろう?
って、ちょっとだけ思っていたかも」

 

ストレスとかフラストレーションとまではいかないまでも、
心のすみっこに、かすかに灯る、違和感。

 

「私、先生の言うことをあんまり聞かなくて、
宿題とか全然やらなかったのね。
でも夏休みの自由研究で、
その時に起きていた公害、
水質汚染とか大気汚染とかを表す、
立体模型を作ったの。いきなり」

 

社会科と、大好きな図工のハイブリッド作戦。

 

「そしたら先生はたいそう驚いて。
普段は宿題もやらない子が!って(笑)」

 

その作品は、県の芸術祭でなんと銅賞を受ける。

 

「興味があることには、ものすごく没頭するんだけど、
興味がないことには、一切動かされないよ(笑)」

 

それはいまだに、そうであるらしい。

 

そして中学に上がると、はるちゃんは順調に、
思春期に突入する。

 

「だんだん、感情が複雑になっていったなあ。
自分以外のことに意識を向けなくちゃいけなくて、
自分らしくいることが、だんだんできなくなっていく」

 

とてもわかる。

 

「女子はどんどんグループ化していって、
同じメンバーと、いつも一緒にいるんだけど、
その関係性はどこか、とてももろくて。
何かあると、すぐ壊れてしまいそうな気がして、
それにとらわれてたところがあったかな」

 

「女子グループあるある」である。
何らかのグループに、自分の居場所があるかないかが、
世界を分かつ大問題だった季節。

 

「でもね、演劇部に入ったんですよ。
それが、めちゃくちゃ楽しかったの」

 

2歳上のお姉さんの、担任の先生が、
演劇部の顧問をしていたそうだ。

 

「大会で賞をとる、常連の演劇部だったんだけど、
それが見たことのない世界だったのね。
こんなに本気でやるんだ!と思った。
そこにまず、惹かれたのかな」

 

1年生からは2人しか出演が叶わない、
その、2人のうちの1人になれたという。

 

「主役であろうとなかろうと、ライトを浴びると、
みんなが自分に注目してくれるのね」

 

幼い頃、胸に灯った、
「みんな、なんでこっちを見てくれないんだろう?」の違和感。
それが、ここへ来て、満たされる。

 

「あとは、みんな本気でやっていたので。
照明も、音響も、衣裳も。
その一員であることが、うれしいというか。
みんな、ひとつの目標に向かってる感じが」

 

演劇の現場は、居場所の宝庫である。
表に出たい人も、そうでない人も、
身体を動かすのが得意な人も、そうでない人も、
それぞれの役割の中で、自分の強みを発揮する。

 

それが目に見えて、功を奏しているのがわかって、
自分の価値を自分でも確認する。

 

「自分にも、できることがある」。
その実感が、10代の心に、確かな根を生やした。

 

「私、社会人になってからは、
自分を商品化して、自分を売れるようになりたい、
っていう思いがずっとあるのね。
『自分が作ったもの』を売るんじゃなくて、
『自分自身』を認めてもらいたい。
その原点は、あの演劇部にあったのかもしれない」

 

私という存在が、ここにいることを知ってほしい。
ただ有名になりたいわけではなくて、
自分にしかない価値を、広く知らせたい。

 

「演劇って、みんながお互いのことを、
認め合うプロセスがすごくあるんだよね。
みんなに混ざるとか溶け込むとかじゃなくて、
その人らしさを認め合う感じ」

 

そう。
みんなの個性が、ばらばらであることにこそ、価値がある。

 

「役をもらうと、台本を読み込んで、
どんな衣裳を着るかとか、
話し方とか、性格とかを、
自分なりに作り込んでいけるのね。
それがまた、楽しいんだよね」

 

◆みんなに、囲まれる日々

 

演劇部では部長にまでなったはるちゃんだったが、
高校では演劇部には入らなかった。

 

「今思えば、そこで信念を貫いて、
やりたいことをやればよかったんだけど。
行きたい高校の演劇部が相当厳しいって聞いて、
それにちょっとびびってしまって(笑)」

 

教室でも、どうも居心地がよくなかった。

高校の思い出というと、
バイトと放課後の思い出しかないという。

 

「スポーツ用品店のレジ打ちをやってた。
車を持っている人がいたから、
夏になったらみんなで海に行ったり、
冬にはみんなでスノーボードに行ったり。
世界が広がった!っていう感じがしたな」

 

普通ならバイトには任されないような仕事も、
ぐんぐん任されるようになっていく。

 

「いろんなスポーツをやってる人がいて、
『今度の休みはみんなで野球やろう』とか、
『山へ行こう』とか『船に乗ろう』とか、
みんな、ほんとにアクティブで。
それがすごく刺激的だった」

 

つまり、ここもまた、
様々な個性を持つ人たちが集う場所だったわけだ。
「みんな違う」ことが「面白い」につながる場所。

 

「だから学校での、
グループがくっついたり離れたり、
みたいなことはもう、いいや!って思ってた。
早く地元を出て、大学に行きたかった。
早く外に出たかったの」

 

ここにずっといたら、つまらない人間になる。
自分の知らない世界を、もっと見たい。
そう思ったはるちゃんは、日本語教師を目指すことに。

 

「いろんな大学を、ものすごく調べたのね。
日本語教育の世界で有名な、第一人者の先生がいて、
その先生から教わりたい!と思ったから、
その大学1校だけ、受験したの」

 

無事合格したはるちゃんは、
栃木から千葉へ移って、
大学生活を満喫する。

 

「外国人留学生が多かったのもあって、
すごく世界が広がった。
当時仲良くなった台湾人の子とは、
今でも仲がいいし、
先輩たちはどんどん海外に出ていくし」

 

ひとり暮らしを始めた彼女の部屋には、
いつも、誰かしら、泊まりに来ていた。

 

「ある時、友だちに言われたの。
『春菜の周りにはいつも人がいっぱいいるね』って」

 

幼い日の願いを、はるちゃんは着々と叶えていく。
「みんなに囲まれていたい」。
まさにそれを地で行く日々だ。

 

「初めて親から離れて生活して、
本当の自分を認めてもらった感じがした。
安心感がすごくあったな。
このままでいいんだな、って」

 

思えば親たちは小さい頃、
自分の成績や選択に、
口出しをしてくることがなかった。

 

自分の選びたい道は、
自分で、選びとるものなのだと、
無意識のうちに、はるちゃんは知っていた。

 

自分がやりたいことを、
自分で考えて自分で決める。
そのプロセスが、親元を離れて、
大いに発揮される。

 

日々、どんどん変わりゆく世界を、
その目に焼きつける日々。

 

 

◆その人の「個」に光をあてたい

 

大学を出たはるちゃんは、
日本語教師の養成講座に進み、1年半の後、
日本語教師としてのキャリアをスタートさせる。

 

「『あいうえお』から教えた学生が、
1年後には専門学校や大学に合格して、
卒業していくわけ。すごく面白い仕事だった」

 

でも、こんな思いも芽生え始める。

 

「学校って、経営していかなくちゃいけないから、
生徒をどんどん受け入れて、どんどん卒業させていくのね。
その生徒さんの、その先の人生のことを、
あんまり考えてないなあと思うようになって」

 

はるちゃんは自問する。
そもそも、自分がなりたかったのは、
本当に「日本語教師」だったのか?

 

「授業では、すでにあるテキストを教えるんですよ。
そこにクリエイティビティはないのね。
誰でもできるじゃん!って思ったの。
今思えば、私は、知らない世界の文化とか、
出会った人が生きてきた背景を知りたかったんであって、
日本語を教えたいわけではなかったんだよね」

 

でもまだそこまで自己分析ができていなかったはるちゃんは、
なんか、面白くないなーって思いながら、日々を重ねる。

 

「人生の底辺を生きてた。
朝出社して、昼は日本語教師やって、
夜は次の日の授業の準備を、午前3時ぐらいまでやって」

 

2年ほどしてその学校を辞め、
就労支援に軸足を置いた学校に移る。
それこそ、いろんな人の、いろんな社会や、
いろんな現実を、見ることになる。

 

「そこに入ったことが、転機だったな。
今こうしてキャリア・コンサルタントになったのも、
その頃の経験が原点だと思う」

 

つまり、その人の人生に、寄り添うということ。

 

「言葉って、コミュニケーション・ツールでしかないから、
言葉を覚えることが目的達成ではないんだよね。
その学校で学んで、得意なことを見つけて就職して、
いろんな分野で活躍していくみんなの姿を見られることが、
私は、すごくうれしかった」

 

「日本語」ではなく「その人」にフォーカスする指導。
他の誰でもなく「その人」であることの、
価値を見出し、引き出す仕事。

 

はるちゃんは、一貫している。
さまざまな個性が、伸びやかに発揮される場所を、
いつも望む。いつも見つける。

 

その学校が幾度か組織替わりをして、
はるちゃんは部署を異動になり、
今は日本人の顧客を相手に、
キャリアの相談に乗っている。

 

そして今は、絶賛子育て中でもある。
スカイプを通して、赤子の声が、めちゃめちゃ聞こえる。

 

「結婚」も、はるちゃんにとって転機だっただろう。

 

「前の彼氏とお別れしたのが、29歳。
その時点で私、とても結婚したかったんですよ。
……なんて言うと旦那さんに悪いんだけど(笑)。
彼とは同僚として出会ってすぐ、
結婚前提で2年ほどお付き合いしました」

 

「結婚」の何が、欲しかったんだろう?

 

「何だろう……
彼の前に2つ、辛い恋愛をしていて、
その2つがものすごく、精神的にしんどかった。
だからもう、そういう目に遭うのは嫌だ!って思ってたかな」

 

今の旦那さんは、まっすぐで、裏がなくて、
とても誠実な人なのだそうだ。

 

「飲み会に行くと、みんなの飲み物の減り具合に、
すごく気を配るの。しかもそれが、
嫌々じゃなくて、めっちゃ楽しそうなのね(笑)」

 

この人、どういう人なんだろう?という興味が、
この人と、家族になろう!と思うようになるまで。

 

「彼は本当は人見知りで、
慣れない人と会うと寡黙になっちゃうんだけど、
2人でデートした時は、すごく多弁で、
今思えば、頑張ってくれてたんだなーって思う(笑)」

 

決め手は何だったの?と尋ねると、
「決め手とかないです」って笑う。

 

「彼から『付き合ってくれ』って言われたんじゃなくて、
私から『どうするの?』って言った感じ(笑)」

 

結婚も、何らかの契機に踏み出したのではなく、
ちょっとずつ、色合いが濃くなっていった感じ。
それを語る時、はるちゃんは、
とても、穏やかな顔をするのである。

 

◆人生は自分で選びとるもの

 

結婚したら、
とにかく子どもが欲しかったという。
「無償の愛を注げる存在が欲しかった」のだと。

 

「私は子どもができにくいって、
結婚する前からわかっていたのね。
実際、不妊治療はとても大変で、
ある時、全部、嫌になっちゃったの」

 

そんな頃、はるちゃんはコーチングに出会う。
すべての人が、完全無欠で、
あらゆる可能性に満ちたオンリーワンだ。
そんな基本理念に貫かれたメソッドである。

 

「もう、子どもは、できなくていいや!って思ったの。
自分の好きなように生きていいんだ!って。
是が非でも自分が産まなくちゃいけない、
っていう強迫観念がずっとあったんだけど、
必ずしも、自分が産み落とした子どもじゃなくてもいい。
養子縁組でも、私は変わらずに愛することができる!
って、思えるようになったんだよね」

 

不妊治療を一旦中断し、
本腰を入れてコーチングを学習。
そしたら自然妊娠で、
愛しい我が子を授かった。

 

「神さまって、いじわるだなあと思った(笑)。
本当に辛かったときは、
上司に話しかけられるだけで、
意味もなく涙が止まらなかったりしたのに」

 

「無償の愛」体制が本当に整ったのだと、
神さまは判断したのだろう。
その子が誰の子であれ、
自分は同じ愛情を注げるのだと、
強く確信したはるちゃんの心を、
神さまは受け取ったのだと思う。

 

「産まれた時、私は結構ドライだったんだけど、
旦那さんが泣いていて、
それを見て私がうるっとした。
自分が母親になったことよりも、
彼を父親にすることができてうれしかったな。
2人で共通して愛せるものができて、
より、家族が結束した感じがある」

 

子を持つことの喜びは、
たぶん、子がもたらしてくれるものだけではない。

 

誰かと一緒に、育てる喜び。
配偶者であれ、友人であれ。

 

同じ何ものかの成長に、
共に一喜一憂できる喜び。

 

「子どもは私のことを、
100%信頼しきっているのね。
抱き上げるにしろ、ミルクをあげるにしろ、
されるがまま、身を投げ出しているわけ。
信頼って、人を変えるんだなあって思った。
この子がここまで信頼してくれるから、
私も無償の愛を捧げられるんだなあって」

 

そして、日々、子どもに教えられているという。
好きなものは好き、嫌なものは嫌だと、
自分の欲求にどこまでも素直な、その生き様に。

 

「だから無理してママ友を増やすとか、
そういうことは、してないですね。
子どもが産まれる前から親しい、子連れの友だちが、
しょっちゅう遊びに来てくれるから、特に不自由もなくて」

 

自分にとって大切なものを、
意志を持って選びとる、はるちゃん。

 

「以前の私だったら、市のなんとか講習とか、
行った方が『いい妻』だったり『いい母』なんだろうって、
無理して行ってたんだろうなと思うんだけど。
でも、自分の生きたいように生きていいんだ!
って思えるようになったから、今はほぼ行ってない(笑)」

 

例えばそれは、裸足で砂浜に立った瞬間。
波打ち際に足を浸すと、波が引く瞬間、
足裏に触れていた砂たちが、思いのほか猛スピードで、
一気に波に持って行かれる、あのぞわぞわ感。

 

はるちゃんがここ数年で経た変化は、
それに似ているのだという。

 

だから、はるちゃんの未来予想図も、
スケール感が、だいぶ大らかなのだ。

 

「どうにか海外移住できないかな!って模索してる。
私が受けてきた教育を、受けさせたくないというか。
型にはめるじゃないですか、日本の教育って。
協調性とかチームワークに重きを置かれて、
『個』が大事にされてない感じがすごくするのね」

 

「個」。
はるちゃんがずっと昔から、
ずっとずっと大切にしてきたもの。

 

「子どもには、自分が唯一無二であることを知ってほしいし、
人生は一回しかないっていうことを、わかって生きてほしい。
私は海外に住んだことがないから想像もつかないんだけど、
でも私の中では、すごく本気。
旦那さんは、たぶん本気だと思ってないけど(笑)」

 

はるちゃんの「個」を軸に運ばれてきた人生が、
子どもの「個」を軸にまわり始める。

 

「でも、自分の夢もあきらめたくないんだ。
自分を商品化して生きていくということもそうだし、
今からでも英語を自由に使えるようになりたいし。
どうしたら、パソコン1台で稼げるかっていうのを、
今、すごく考えていて(笑)」

 

パソコン1台で、稼げるようになったら。
世界中のどこへでも行ける。
どこででも、生きていける。

 

世界中が、はるちゃんの居場所だ。

 

「それに不可欠なのは、旦那さんの存在。
与えられた居場所で役目を果たそうとする人だから、
彼をもっと、自由にしてあげたいという思いもあって」

 

そのためには。
自由であることの幸せを、はるちゃんが、
身をもって、味わいたおすことだ。

 

旦那さんが、うらやむくらいに。
「その自由、俺も欲しい!」って思っちゃうくらいに。

 

「そうそう。『自由になろうよ!』ってみんなに言いたい。
みんなもっと、肩の荷を下ろして、楽に生きていい。
そういう生き方を促せるような存在になりたいなあ」

 

はるちゃんが、そうやって生きている。
そのことが、すでに誰かを勇気づけている。

 

あとは、その輪を広げるだけだ。
たくさんの人が、はるちゃんに出会う。
それだけで、自由な未来が、
世界中のそこかしこで、産声をあげるに違いないのだ。
(2017/11/01)

 

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